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HOME > 掲載記事(鹿児島) > 2017年9月号 鹿児島歴史探訪─西郷隆盛の征韓論

武力をもって朝鮮を開国しようとする征韓論に端を発し、西郷隆盛をはじめ当時の政府首脳である参議の半数と軍人、官僚約600人が職を辞した明治初期の一大政変「明治六年政変」。西郷の死後、板垣退助らの自由民権運動の中で、板垣の推進する征韓論は西郷の主張として流布され、西郷が征韓論の首魁として定着していたが、現在では、西郷自身の主張は出兵ではなく開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」だったとの説が唱えられることが多くなっている。

征韓論の経緯

 

1868(明治元)年に、李氏朝鮮が維新政府の国書の受け取りを拒絶したことでもつれはじめた対朝鮮問題は、1872(明治5)年になると朝鮮国内で排日行動が出はじめ、新政府は朝鮮での在留邦人の安全確保を検討せねばならない事態に発展。これに対して日本国内では、在留邦人の保護のために、派兵する意見が強くなっていた。

 

ところがこの時期、新政府は岩倉具視を正使とするいわゆる「岩倉使節団」が欧米諸国へ派遣され、政府首脳陣の大半がいなかった。そんな状態にあるなか太政大臣・三条実美を代表とし、西郷を中心とした留守政府は、1871(明治4)年に断行された廃藩置県の後始末や新しい制度づくりなど、国政に関して課題が山積みの中、朝鮮に対する態度を決めなければならなくなっていた。

 

1873(明治6)年6月12日、初めて正式に朝鮮問題が新政府の閣議に諮られることになった。

 

留守政府の中では、参議板垣退助が国内で高まる征韓論の空気に乗って、外交礼節を無視して侮日的行動をとり続ける李氏朝鮮への即時派兵を主張していた。一方で、当時閣議の中心人物だった西郷は、板垣の提案に対して首を横に振った。

 

 

西郷の遣韓大使派遣論

 

「兵隊を派遣すれば、朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがある。これまで朝鮮と交渉してきた外務省の卑官ではなく、位も高く、責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって一番の良策ではないか」

 

西郷は、板垣の朝鮮即時出兵策に対し、真っ向から反対の意見を述べた。それを聞いた三条実美が、「その全権大使は軍艦に乗り、兵を連れて行くのがよい」と付け加ええたが、西郷はそれにも首を横に振り、「兵を引き連れず、大使は烏帽子、直垂を着し、礼を厚うし、威儀を正して行くべき」と主張する。

 

板垣以下、後藤象二郎、江藤新平ら他の参議は賛成するも、大隈重信だけが「岩倉らの帰国を待ってから決定するべき」と異議を唱えた。それに対して、「政府の首脳が一堂に会した閣議において、国家の大事の是非を決定できないのなら、今から正門を閉じ、政務の一切をやめた方がよい」と西郷。そして、その朝鮮への全権大使を自分に任命してもらいたいと申し出た。

 

朝鮮政府の対応から考えると、朝鮮へ派遣される使節には大きな危険が伴う恐れがあった。もし不測の事態が生じ、政府の首班である西郷を失うことになれば、政府にとってこれほどの危機はない。

 

他の参議らが難色を示したのは当然で、この閣議で結論は決まらなかったが、紆余曲折を経て、西郷は正式に朝鮮使節の全権大使に任命されることになる。同年8月17日のことだ。そこへ新政府の正式首脳陣である「岩倉使節団」が帰国する。

 

 

西郷と大久保が大激論

 

洋行から帰ってきた岩倉と大久保利道は、同年10月15日に再び開かれた閣議で、明治天皇のご裁可も受け、正式に決定していた西郷の朝鮮派遣に反対する。

 

「西郷参議が朝鮮に行けば、戦争になるかもしれない、現在の政府の状態で外国と戦争をする余力はないので、朝鮮への使節派遣は延期するのが妥当である」

 

西郷が朝鮮に行っても談判は決裂し、西郷は殺されて戦争になるということを前提とした主張だった。西郷はこれに対し、安易に戦争をしないためであり、平和的な使節として西郷自身を派遣することを主張し続け、大久保と大激論になる。

 

さて、ここで一旦整理したいのが、明治六年政変へとつながる西郷と大久保の論争は「西郷の朝鮮派遣」についてであるということ。そして、武力をもって朝鮮を開国させるか否かといった議論は、留守政府での朝鮮問題に関する閣議(6月〜8月)で、「要らぬ危惧を与えなように礼を尽くした形で使節(西郷)を派遣する」と結論が出ていたということだ。

 

もちろん西郷は、朝鮮での談判が決裂し、不測の事態になれば、それが朝鮮との戦争につながることは視野に入れていただろうが、この命をかけた交渉に自信があったのだろうし、それは自分にしかできないと確信していたのかもしれない。つまり、西郷も大久保も「非征韓論者」として、議論しているのだ。

 

結局、10月15日の閣議で再度、西郷の朝鮮派遣が決まり、岩倉と大久保は辞表を提出することになる。ところがこの決定は思いも寄らない形で潰されてしまう。

 

 

岩倉具視の術策

 

朝鮮への西郷派遣の決定を天皇に上奏する役目の太政大臣・三条実美は、岩倉と大久保の辞表提出に動揺し、高熱を出して倒れてしまう。そこで術策をめぐらせた岩倉は10月23日、太政大臣代理となって、西郷の派遣決定と派遣延期の両論を上奏。天皇は岩倉の意見(西郷の使節派遣反対)を採用し、西郷派遣は無期延期となってしまう。閣議の決定をないがしろにした完全な違法行為である。

 

その日のうちに西郷が、翌日に板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣ら合のわせて5参議が一斉に辞職し、ついに明治新政府が分裂してしまう事態(明治六年政変)になってしまう。

 

通説では、この明治六年政変、いわゆる「征韓論政変」は、西郷ら外征派(朝鮮を征伐しようと考える派)と大久保ら内治派(内政を優先しようとする派)との政争であるとされている。しかし、西郷は公式の場で、朝鮮を武力で征伐するという論は一度も主張していない。

 

しかも、内政を優先させるのが第一として西郷の朝鮮使節の派遣論に反対していた内治派とされる人々は、1874(明治7)年に台湾を武力で征伐して中国と事を構え、翌1875(明治8)年には朝鮮と江華島で交戦し、朝鮮とも問題を引き起こす。朝鮮に対しては、軍艦に兵隊を乗せて送りこみ、兵威をもって屈服させ、修好条約を強引に結ばせている。

 

近年では、西郷の主張はあくまでも征韓(武力侵略)ではなく、交渉(親和交渉)を目的とした遣韓大使の派遣だったとする説が唱えられることが多い。

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