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HOME > 2019年1月号 エリア特集「はなみずき通り」

福岡市中央区のけやき通りの赤坂2丁目交差点から桜坂駅前交差点まで続く「はなみずき通り」。中央区のセンターポジションにあり、常に進化を続ける天神や薬院へ、水と緑の大濠へ、そして、にぎわいと法曹の街として生まれ変わった六本松へと、福岡都心をストレスフリーに回遊できるエリアだ。今回は、かつての武家屋敷跡で、静謐が息づく自然豊かな赤坂緑地や屋敷跡の碑がある加藤司書を紹介する。

かつての武家屋敷跡「赤坂緑地」

 

はなみずき通り沿いにある筑紫女学園前の丁字路を西に進むと「赤坂緑地」(上写真)がある。福岡城址である大濠・舞鶴公園に隣接する赤坂は、歴史的にもつながりが深く、赤坂緑地はかつての武家屋敷跡を緑地として保全したものだ。

 

赤坂の表通りを歩いていてもその面影はないが、かつて赤坂は「赤坂山」という山だった。黒田長政がこの地を徳川家康から賜って移って来た際、山をならして今の福岡城を建てたためなくなってしまったが、赤坂緑地の辺りを歩けば、ここが山だったということが分かる。

 

赤坂緑地の標高は28メートルと低く、頂上まで楽に登れ、中央区のセンターポジションにありながら、緑は濃く、鳥の声に静寂を感じることができる。都会の中心地でも自然と触れ合える貴重な場所だ。

 

 

桜ヶ峯神社

 

はなみずき通りの西側は小高い丘陵地になっているが、そこに桜坂という地名の由来となった桜ヶ峯神社(桜坂2丁目)がある。桜坂という地名は1967(昭和42)年に誕生したもので、桜ヶ峯という集落の名前からとったものだとされている。

 

桜ヶ峯神社周辺は、江戸時代には大鋸ノ谷(おがのたに)と称されていた。記録によれば「那珂郡大鋸谷、桜嶺に石蔵の石像あり」とある。昔、欽明天皇(在位539年~571年)の時代に、夜「光を発する石像あり。之を祈願すれば必ず御利益あり」というので、土地の人は「荒具神社」として奉祀した。1652(承応元)年には、福岡藩2代藩主・黒田忠之が同地で鷹狩をしたとき、霊験顕著なのに驚いて社殿を改築したという。

 

江戸時代に書かれた「筑前国続風土記付録」の絵図によると、当時は大規模な神社で、有名な修験道場として栄えており、桜の名勝の地であったようだ。1950(昭和25)年および1976(昭和51)年の改築を経て、現在に至っている。

 

 

福岡藩の勤王志士・加藤司書の屋敷跡

 

このエリア一帯にはかつて黒田藩の家老クラスの屋敷があり、桜坂2丁目には「加藤司書公屋敷跡の碑」(桜坂2丁目9-6)が残っている。

 

加藤司書は、幕末の福岡藩で家老をつとめ、三条実美ら勤王派の公家7人を太宰府に迎える(七卿落ち)など、福岡藩の勤王派のリーダーともいえる人物で、「皇御國(すめらみくに)の武士(もののふ)は、いかなる事をか勤むべき、只身にもてる赤心(まごころ)を君と親とに盡(つく)すまで」という戦時中に全国的に歌われた今様(いまよう・俗謡、その頃のはやり歌)の作者としてもよく知られている。

 

加藤司書は1830(文政13)年、福岡藩中老職の加藤家9代当主加藤徳裕と側室の尾形友花との間に生まれた。11歳で加藤家11代当主として2800石の家督を継ぎ、福岡藩の中老の位列に加えられる。

 

司書24歳の1853(嘉永6)年7月、ロシア海軍のプチャーチンが来航した際、藩兵約500人を指揮し長崎を警護、同艦隊を無事国外に立ち去らせ、異国との紛争回避に努力した功績は多大であった。1856(安政3)年、司書は藩の執政に就任し、義兄の建部武彦の後押しもあり尊皇攘夷派の中心人物となる。

 

次には薩摩の西郷とともに長州征伐解兵のために活躍した。征長軍解散の結果、長州藩の三家老(国司親相・益田親施・福原元僴)の切腹のみで決着することとなり、必要以上の人命が失われることは避けられた。この結果に感激した司書は宿舎に戻った時に「皇御国の武士は……」と筑前今様を書き留め、その場で2度歌ったという。

 

1865(慶応元)年2月、司書は征長軍解兵の功績を賞じられ、家老に昇進したが、藩内には賛否両論あり、佐幕派の3家老が一斉辞任して対抗するなど対立が強まった。5月、筑前勤王党は穏便に攘夷を進めようとする加藤派と過激な行動を取る月形派に分かれて内紛を起こすようになっており、暴走していた勤王党員が「司書は優柔不断な藩主を幽閉し、長州周旋に奔走し、長州藩主毛利敬親と面識のある黒田長知を擁立して、佐幕派を排除し実権を握ろうとしている」と言い回った。これまでの勤王党の活躍を面白く思っていなかった佐幕派はこの事を聞き、加藤司書を非難し黒田長溥に報告した。

 

これに対して、加藤司書も黒田溥整と連名で「上下一致、人心一和して過激を抑え因循を奮発することが肝要である」という内容の建白書を提出したが、黒田長溥はこれに激怒して司書は家老の職を3カ月で罷免されている。

 

さらに、幕府が長州再征討を決めたために勤王派の周旋活動の功績が否定された結果、佐幕派が復権し、形勢が逆転となって勤王派弾圧の動きが強くなった。これにより勤王派140人余りが逮捕・監禁され、その中でも加藤司書以下7名が切腹、月形洗蔵以下14名が桝木屋で斬首、野村望東尼以下15名が流罪の大粛清に至っている(乙丑の獄)。

 

1865(慶応元)年10月25日、天福寺にて切腹。享年36歳。「君がため、尽くす赤心(まごころ)今よりは、尚いやまさる武士の一念」と辞世の句を残している。福岡市博多区の聖福寺の塔頭寺院・節信院に墓がある。

 

 

 

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