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HOME > 2018年12月号 エリア特集「今川」

人気の居住エリア大濠・唐人町に隣接する福岡市中央区今川は、交通アクセスが良好で住環境の整った閑静な住宅街だ。地名の由来は、かつて草香江の辺りで博多湾の入江に通じていた樋井川の流れを、福岡城築城の際に西に導いて現在の流れにしたことから「今の川」=「今川」と呼ぶようになったという。今回は今川の明治通り沿いにある鳥飼八幡宮と平野神社を紹介する。

鳥飼八幡宮

 

神功皇后が新羅から凱旋し、姪浜に上陸され鳥飼村平山という場所に着かれた。鳥飼村の人々は皇后を厚くもてなした。また、皇后は胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を祝い、この地に泊まって近臣たちにも杯を振る舞ったという伝説から、子供の成長を助ける子安のご利益があるとされている。その後、村ではこの地に社を建てて、「若八幡」と名付けて奉拝したのが鳥飼八幡宮の起源とされ、福岡藩初代藩主・黒田長政が現在地(福岡市中央区今川二丁目1─17)に移転している。

 

現在では、神前結婚式やお祓い、厄除けなどの特別な日をはじめとし、日々の生活で心のよりどころとなる場所を担っている。また、ここは右殿に御祭神としてむすびの神・玉依姫尊をお祀りしており、「縁結びの神」としても有名だ。

 

 

天下一人を以て興る

 

境内の一角には、大正から昭和にかけて活躍した政治家・中野正剛の銅像と碑がある。

 

1886(明治19)年、現在の荒戸一丁目に生まれた中野正剛は、20代半ばにして政治ジャーナリストとして世間の注目を集め、30歳で朝日新聞社を退社、東方時論社に移って社長兼主筆に就任すると翌1887(明治20)年、衆議院議員総選挙に立候補する。結果は落選だったが、日本外交を批判的に論考した『講和会議を目撃して』がベストセラーとなり、1920(大正9)年に衆議院議員に当選する。

 

第二次世界大戦中には東條英機首相が独裁色を強めるとこれに激しく反発した。そして、1943(昭和18)年に朝日新聞紙上に発表した「戦時宰相論」などで東條内閣を批判して逮捕され、憲兵の看視付きで帰宅中に自刃している。命を懸けて東條内閣の暴走を阻止しようとしたのだ。机上には『大西郷全伝』の西郷隆盛の自刃の頁が開かれたまま置かれていたという。敬愛してやまぬ西郷と同様、死を以て己の所信に生きたということだ。

 

鳥飼八幡宮に立つ銅像は演説姿だが、ジャーナリスト出身の政治家らしく弁舌に優れ、演説はどこでも超満員だった。なかでも名演説と言われるのが、母校の早稲田大学で、東條英機の差し向けた憲兵たちを前に、「天下一人をもって興る」という東條英機批判の演説だ。

 

「諸君は、由緒あり、歴史ある早稲田の大学生である。便乗はよしなさい。歴史の動向と取り組みなさい。天下一人を以て興る。諸君みな一人を以て興ろうではないか。日本は革新せられなければならぬ。日本の巨船は怒涛の中にただよっている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君は自己に目覚めよ。天下一人を以て興れ、これが私の親愛なる同学諸君に切望する所である」(演説の締めくくり部分)

 

 

平野神社

 

今川一丁目に鎮座する平野神社の御祭神は、幕末における福岡藩の勤王志士・平野國臣だ。境内には誕生の地碑、追慕碑、歌碑などがあり、毎年3月の最終土曜日には鳥飼八幡宮の宮司が祭主を務め「平野國臣生誕祭」が執り行われる。西公園に平野國臣の銅像があるが、5年に1度は場所を銅像前に移し、生誕祭が盛大に執り行われている。

 

明治維新前夜、福岡藩で最初に尊王討幕を唱えた平野國臣は、維新に乗り遅れた感のある福岡藩にとっては、唯一人ともいえる勤王の志士だった。

 

1929(文政11)年、足軽の次男としてこの地に生まれ、漢学や国学を学び、また、相当な腕白でもあったという國臣。18歳で仕官し、普請方などで江戸・長崎に勤務したが、その間に多くの薩摩人と交流を図り、尊王主義に傾注している。そして、30歳で妻と三人の子を残して別離、役所も退職し、脱藩して上京する。

 

平野國臣が歴史の表舞台に登場するのは、1858(安政5)年の「安政の大獄」で幕府に追われる勤王僧・月照の警護役で薩摩藩まで付き添った時だ。正式な関所手形もなく、追っ手のかかる月照と國臣は山伏に扮装して、命懸けで薩摩を目指した。一方、月照と知己の仲だった西郷隆盛は、藩政府による月照保護のための根回しに先行していたが、幕府のとがめを恐れた藩政府の態度は冷たいもので、月照らを藩外に追放するよう命じた。

 

藩士として藩の命令に背くわけにいかない西郷は、月照と國臣を引き連れ、日向に向けて鹿児島錦江湾に船を漕ぎ出すが、西郷と月照は明け方近く、突如寒中の海に抱き合って身を投げ、心中をはかっている。國臣の熱心な捜索と看病で、西郷はすんでのところで息を吹き返したが、月照は絶命している。

 

その後、國臣は各地を転々とするが、武士だけでなく、豪商、神官、医師、庄屋、豪農などがお尋ね者である國臣を匿っている。この時再度薩摩入りし、有名な「我胸の燃ゆる思にくらぶれば煙はうすし桜島山」という歌を残している。

 

1863(文久3)年、脱藩の身でありながら福岡藩11代藩主・黒田長溥に尊王を諫言し、唐人町の浜側にあった枡木屋の獄に繋がれる。そこで筆や硯が許されなかったため、こよりで文字をつくり紙に米で貼り付けた「こより文字」による「平野國臣紙撚文書」をつくっている。翌年には志士たちへの風向きが変わってきたこともあり、國臣の功績を称える動きがあり、恩赦で出獄している。

 

しかし、但馬地方(現在の兵庫県)の勤王の農兵を組織して挙兵した生野の変に参加し、再び京都六角牢に投獄される。そして1864(文久4)年7月に起こった「禁門の変」で京都には各地で火災が発生し、六角獄の近くまで延焼したため、囚人の脱走を恐れた幕府役人に処断され斬首されている。國臣37歳、頭髪は真っ白で翁のようであったという。明治維新のわずか4年前のことだ。1891(明治24)年には、明治政府より維新に貢献したとして、贈正四位が授与されている。

 

 

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