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HOME > 掲載記事(鹿児島) > 2017年3月号 鹿児島歴史探訪─平田靱負の屋敷跡「平田公園」

鹿児島市の中心地・城山のふもとにある平之町は、江戸期には薩摩国鹿児島郡鹿児島城下のうちであり、この一帯には上級武士の屋敷が多く所在していた。現在の平之町は閑静な住宅街となっているが、その中にある平田公園もその一つだった。

姉妹県盟約のきっかけとなった宝暦治水工事

 

平田公園の敷地は木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の宝暦治水工事(1754年〜1755年)の指揮をとった平田靱負(ゆきえ)の屋敷跡だ。鹿児島県の史跡にも指定されており、公園内には平田靫負の銅像が1955(昭和30)年に建立されている。

 

鹿児島県と岐阜県は、薩摩藩による木曽三川の宝暦治水工事以来、平田靫負をはじめとした薩摩義士の偉業により精神的つながりをきずなとして友好親善関係を深めている。1971(昭和46)年には姉妹県盟約を結び、現在でも1991(平成3)年に策定した「ぎふ・かごしま21世紀への交流プラン」に基づき、さまざまな交流が活発に行われている。そこで今回は、岐阜県との友好親善関係のきっかけとなった宝暦治水を紹介したい。

 

 

仁義を尊ぶ薩摩武士の本文

 

宝暦治水工事以前、木曽・長良・揖斐の三大河川の合流する岐阜県南部は、大雨のたびに洪水に襲われ、多数の死者も出るなど、永年水害に悩まされ続けていた。このため幕府は三大河川の改修計画書をつくり、その御手伝普請を薩摩藩に命じたのが1753(宝暦3)年のことだ。

 

御手伝普請とは、工事の設計や監督などは幕府があたり、その下で命令を受けた藩が工事をするもので、工事費の大部分は、藩が負担しなければならない仕組みであり、この治水工事は外様大名の筆頭である薩摩藩の勢力を弱めるという目的もあった。

 

当時、すでに多額の借金があり、財政が逼迫していた薩摩藩では、命令を断り幕府と戦うか、命令に従い借金を増やすかという苦渋の選択を強いられた。しかし、薩摩藩家老であった平田靱負の「苦しんでいる人々を助けるのも仁義を尊ぶ薩摩武士の本文」という言葉に後押しされ、治水工事を引き受けることになった。

 

そうして総奉行に任命された平田靱負ほか、途中の交代要員や追加派遣を含め、最終的には約1000人の薩摩藩士がこの難工事に従事した。

 

 

刀を鍬に替え治水事業に立ち向かった薩摩義士

 

1754(宝暦4)年、治水工事は春と秋に分けて行われた。2月から始まった春の工事では、薩摩藩に治水工事の専門家がほとんどいなかったことや、幕府や地元の人に鹿児島弁が通じない不自由さに加え、初めて耳にする河川用語に戸惑うなど、5月下旬の工事終了まで困難が続いた。

 

秋の工事が始まるまでの間も薩摩の人々は国に帰ることが許されず、大量の資材集めや運搬に奔走した。また、この間にもしばしば洪水があり、その復旧作業による予定外の支出などもあった。秋の工事は9月下旬に始まったが、大規模な難工事に加え、大きな計画変更、赤痢の流行もあり、過酷を極めるものとなった。何より忍耐を必要としたのが、幕府側による工事への嫌がらせだった。いわゆる宝暦治水事件だ。

 

4月、薩摩藩士の永吉惣兵衛、音方貞淵の両名が管理していた現場で3度にわたり堤が破壊され、その指揮をとっていたのが幕府の役人であることがわかり、その抗議で永吉、音方が自害。以後、合わせて53名が自害したが、平田は幕府への抗議と疑われることを恐れたのと、割腹がお家断絶の可能性もあったことから自害である旨は届けなかった。また、幕府側は重労働にも拘らず食事を一汁一菜と規制し、蓑や草履までも安価で売らぬよう地元農民に指示した。粗末な食事と過酷な労働で体力が弱っていた者が多く、結果、33名が病死している。

 

 

平田靱負の悲壮な最期

 

忍耐と苦労を重ね、その当時わが国で最も大きく最も難しいといわれた治水工事は1755(宝暦5)年3月下旬に完成した。期間はわずか1年有余。しかしそれだけに、いろいろな面で無理があり、この間に病死した人やさまざまな重圧から切腹した人など、合わせて80数名の犠牲者を出したうえ、薩摩藩は多額の借金を抱え込むことになった。

 

平田靭負は、幕府の検分を終え、藩士の帰任を見送った5月25日暁、大牧(岐阜県養老町大巻)で、「住みなれし里も今更名残りにて 立ちぞわづらふ美濃の大牧」という辞世の句を残し、割腹している。多くの犠牲者を出したことと、約40万両(現在の金額で約300億円以上)という多額の費用を使わざるを得なかったことに責任を感じての自害だったと言われている。故郷に想いを馳せながらも、苦悩のなかでこの世を旅立った52年の生涯だった。

 

岐阜県では、この時の工事によって完成した堤防により洪水に苦しむことが少なくなったことを大変喜び、工事に従事した薩摩藩士を薩摩義士(薩摩様)と呼んで感謝したと言われている。

 

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